l さて、この「労働力劣化」について理解を深めるためには、「日本型の人事慣行」に関する理解を深める必要があります。ただし、日本人労働者が「向上心があって、勤勉で、ハードワークを厭わない」という美質を決定的に失った背景を語る上で、2016年11月に発生した「電通ショック」の叙述を避けることはできません。そこで、まずは、「電通ショック」から説明していくことにします。元々は、2015年12月に電通の社員であった高橋まつりさんが過労により自殺したことが切っ掛けでした。その結果、2016年11月、違法な長時間労働をさせていた疑いが強まったとして、厚生労働省が強制捜査に踏み切り、電通の本社に家宅捜索に入り、結果的に電通社長が引責辞任に至ります。本稿では、この経緯が日本経済にもたらした影響を「電通ショック」と呼びます。高橋まつりさんの死が痛ましいことであることに議論の余地はありませんが、この「電通ショック」により、日本企業が国際競争力を著しく喪失していくことが決定したことも否定しがたい事実です。
l ビジネスの競争には、「ルール作りの競争」と「ルールの下での競争」があります。「ルール作りの競争」とは、デファクト・スタンダードを構築する競争であり、アップルのi-PhoneやマイクロソフトのOS、グーグルの検索プラットフォーム、インテルの集積回路等がこの競争の勝者に挙げられます。残念ながら、日本企業は、この「ルール作りの競争」に弱く、「ルールの下での競争」で優位性を保ってきました。傑出した個人の才能を組織の強みとして戦う欧米企業に対して、日本企業は、欧米企業が決して真似のできないハードワーク(Hard work)とチームワーク(Teamwork)を基盤とした職人技(Workmanship)を駆使して、国際競争で競り勝ってきたのです。
l しかし、「電通ショック」は、日本企業の国際競争力を劣化させます。まず、残業を苦にせず働き続けるハードワークが完全否定されたことが痛い。欧米から「仕事中毒」と揶揄されたハードワークこそ、日本企業の競争力の源だったからです。また、日本企業が得意とするチームワークは、自分の時間を仲間のために費やすという自己犠牲を前提としますが、「電通ショック」の後遺症で、他人のために時間を割くことができなくなれば、日本的なチームワークも機能しません。世界を驚愕させてきた日本の職人技は、ハードワークを苦にしない職人たちが自己犠牲を伴うチームワーク力を発揮することによって成立してきたのですが、この土壌が「電通ショック」で崩壊します。
l 日本における大企業の人事部長が社長候補の一人であり、極めて保守的で小心者であるという点にも留意が必要です。「電通ショック」において、社長退任に至ったことは、人事部長たちにとって驚天動地の出来事でした。一人の平社員の自殺が社長辞任につながるという現実を目の当たりにした人事部長たちは、現社長を守り、自分が社長に昇格するため、必要以上に、勤務時間の短縮化に必死で取り組みます。しかしながら、彼らが旗を振る勤務時間の短縮化は、得意技であるハードワークを困難にし、チームワークの土壌を破壊し、日本的な職人技を無力化していきます。しかも、「電通ショック」は、日本人を雇うコストとリスクが高いことを世に示しました。これらの結果、日本企業の国際競争力は大打撃を受けていくことなります。
l 「電通ショック」以来、日本国内において、「ハードワーク」は、日本人の美点や長所ではなく、「除去すべき害悪」として認識されるようになりました。いまの世情で、「ハードワークが日本の強みだ」などと公言すれば、袋叩きになります。愚かなことに日本は、「ハードワーク=aspirant(向上心がある)であり続けること」を前向きに評価すること自体が「悪」という誤った風潮に毒されてしまいました。そして、「ハードワーク」を否定することが正当化されてしまったため、「ハードワークしない」ということが、日本社会において市民権を得ることになりました。「ハードワークしない」ことをカミングアウトすることが「善」なのですから、その結果、これまで水面下で着実に進んできた「労働力劣化」が、次々と表面化してきます。2017年を経て、2018年には、その傾向がさらに明らかになっていくに違いありません。しかし、日本企業の経営者たちが求めている人材は、今も昔も変わらず「aspirantな人材」です。でも、もう、日本人に対して、「aspirant」であることを求めることはできません。そして、日本人自身、「向上心があって、勤勉で、ハードワークを厭わない」という美質を失ってしまいました。
l 例えば、「労働力劣化」が表面化してきた日本企業からは、偽装問題が噴出しています。直近でも、KYBの免震偽装やスズキの検査データ改竄問題が取り沙汰されています。向上心も忠誠心もない社員は、勤勉でなくハードワークでもなくなった職場の杜撰な実態を「マスコミに売る」ことに対してすら罪悪感を持ちません。今後、日本企業の組織は弱体化していくことになると思われますが、その弱体化は、思いのほか早く訪れると予測されます。それは、「未曽有の人手不足」という現在の経済環境が、「従業員は短期間で辞める」という引力をより強化する方向に働くからです。
l 「終身雇用」はフィクションとなり、「年功序列」も弊害が目立っているのに、大企業や上場企業における社内制度や気持ちの部分は、長期雇用という前提にこだわり続けています。「従業員は長期間勤める」という前提の下でのみ成立する「日本型の組織運営」は崩壊しているのに、過去のノスタルジーから解き放たれることができず、「従業員は短期間で辞める」という前提条件を受け入れることができません。長期雇用を前提に、「新卒を長期間かけて育てていく」という方式にこだわればこだわるほど、「従業員は短期間で辞める」という不都合な現実とのギャップが、組織全体のコスト・パフォーマンスを累積的に低下させていきます。
l 日本企業は、製造現場ではマニュアル化や仕組化が得意ですが、非製造分野では、米国企業のように業務をマニュアル化・仕組化し、社員を「組織の部品」と見做してマネジメントするという手法が苦手です。社員を「人」として扱い、その「人」の能力を向上させることで問題を解決しようとする傾向が強いため、優秀な「人」を採用することで問題を解決しようとします。しかし、そこにエネルギーやお金を投入してもほとんどが失敗に終わるでしょう。日本企業が想定するような「わが社にフィットする即戦力の人材」は中途採用できないことがほとんどですし、万が一採用できたとしても、転職に抵抗感がない優秀な人材は、社内の人事制度を無視して厚遇しない限り、いずれ他社に引き抜かれる運命にあるからです。
l つまり、上記の事情は、今後のビジネス環境においては、規模的に「人」で解決するしかなく、目が行き届く10人以下の家族的な日本企業においてしか、従来の「日本的な組織運営」のやり方が成り立たなくなることを意味しています。10人を越える社員を抱える日本企業は、優秀な人材を採用することで対応しようとして失敗し、ほとんどが弱体化していくことになります。米国企業のように、業務をマニュアル化・仕組化して、「辞めても大丈夫にする」という「組織設計の哲学」を明確に認識し、対策をいち早く講じなければならないのに、そういうことは心情的に断行できないのです。
l ここで、「向上心があって、勤勉で、ハードワークを厭わない」という美質を持っていた日本人が、「上昇志向はなく、プライベートに熱心で、ハードワークを厭う」という状況になってしまった背景についても触れておかなければ片手落ちです。こうなった原因は、個々の日本人労働者にあるのではなく、経営者たちにあるからです。そこには、日本的な企業経営において標準的に埋め込まれている「日本型の人事慣行」が根深く横たわっています。
l じつは、この問題は、日本企業が、外国人留学生を採用するときに、典型的に表面化する問題でもあります。そこで、日本人労働者の問題に触れる前に、順を追って理解していただくために、まずは、外国人留学生が直面している就職問題・昇進問題から詳細に説明することにしましょう。
l 漠然とした憧れで、7割の外国人留学生は、就職志望先として、グローバルに事業を展開している日本の大企業を挙げます。しかし、その大企業に勤めている留学生の先輩たちに尋ねてみると、「母国出身の留学生に対して、日本企業への就職を勧めたくない」と指摘する先輩たちが少なからず存在し、その理由として、「外国人が出世するのに限界があるように見えるから」という回答が7割以上も寄せられます。また、「賃金で業績や成果が反映されるウェイトが小さい」という不満も3割以上から聞こえてきます。狭き門をクリアして大企業に就職しても必ずしもハッピーではないわけですが、この背景に、日本独特の「年次による人事管理」という人事制度の影響があることは、あまり知られていません。
l 「年次による人事管理」とは、入社した年次に基づいて人事考課を行い、長い時間をかけて、年次の序列の中で「昇格」を決定していく「年次競争システム」のことを指します。年次内および年次間における競争に基づいて、長期間かけて人事考課をしますから、少数の人だけで「昇格」を決めたり、短期間で人事考課することができない仕組みになっています。「日本企業においては、首を斬られることが少ない」という事実は比較的よく知られていますが、それは、「年次による人事管理」があるから、結果的にそういう現象が起こっているわけです。
l この「年次競争システム」においては、「年次」すなわち「年齢」が人事考課上極めて重要な要因になります。というのは、この裏側で、「肩たたきシステム」という別のシステムが機能しているからです。「肩たたきシステム」というのは、出世した「エリート組」が管理職になったときに、年上や同年代の部下のマネジメントで苦労することがないように、出世が遅れた同期を子会社や関連会社に送り出していく仕組みのことを言います。その結果として、本社に残った人たちにとっては、ほとんどの部下が年下の人たちになり、会社の外から見ると、組織内において年功序列が守られているように見えるのです。つまり、日本企業における「年功序列という秩序」は、自然に存在している秩序ではなく、強引な手段を用いてかなり無理をした上で、人工的に維持されているものなのです。
l そして、この「年次競争システム」は、「日本人新卒・男性・生え抜き」のための選抜・昇進システムですから、それと異なる「外国人・女性・外様」に対してはうまく適用できません。外国人や女性や外様が入社してきても、この「年次競争システム」の外枠で処遇されるだけなので、上位管理職を決める最終段階に至る前に、「外国人・女性・外様」を排除するシステムが機能します。実際、外国人や女性を組織に迎え入れてマネジメントすることに対し、寛容なのは女性や若手であり、極めて強い「心理的抵抗感」を示すのは「中高年層・男性・管理職」という調査結果も出ています。
l 外国人留学生の多くは、日本語学校に通ったり、母国で大学を出ていたり、日本で大学院を卒業したりしているので、新入社員であっても30歳に近い場合が少なくありません。これは、「年次による人事管理」においては、課長・係長の「一歩手前の年齢」であることを意味します。つまり、彼らを雇ったら、課長・係長「一歩手前の年齢」の人間が「新卒」として入社してくるわけで、人事部長にとっては、極めて悩ましい問題になります。というのは、日本の大企業は、「年次競争システム」を採用しているので、30歳近くの留学生が極めて優秀だったとしても、最初の10年間に関しては、先輩を押しのけて年次を超えた昇格させたり、日本人を無視して外国人留学生だけを昇給させることはできません。それは、同期や他の年次の人たちから見ると完全なエコヒイキであり、不公平な扱いになってしまうからです。
l このため、苦労して日本の大企業に折角就職したのに、外国人留学生にとって、「昇格」や「昇給」への道程は長く険しいものになります。そして、この現実は、優秀な留学生にとって不満の種になります。というのは、入社後の10年間が下積み期間として費やされてしまうからです。しかも、その期間において自分の専門性は全く重視されません。彼らにとって10年間は長過ぎます。それで、日本企業で働き続けることに、嫌気がさしてしまうのです 。
l 仮に30歳入社の留学生が、最初の10年間の競争を勝ち抜いて「エリート組」に昇格し、部長や次長を目指すための本格的な出世競争に参加する資格を得たとします。その場合、別の大きな問題が待ち構えています。というのは、その10年後になると、同期はまだ42歳~43歳なのに、留学生は50歳になってしまっているので、年齢から言うと、その留学生は、「年功序列」を維持するための「肩たたきシステム」の対象になってしまうからです。だから、その外国人留学生が、極めて優秀であったとしても、「年次競争システム」においては、極めて扱いが難しくなってしまうのです。
l このことは、外国人留学生が入社する前から完全に予見できる話です。ですから、大企業の人事部長は、本音では、「30歳近くの高齢留学生」が入社することを望んでいません。それで、入社時の年齢を実質的に「25歳まで」と制限している企業すらあります。
l 大企業の人事部長たちは、この事情を十分に弁えていますから、この悩ましい問題を理解した上で、それでも敢えて、「ビジネス上必要だから、外国人留学生を採用する」ことを決定する場合には、「年次による人事管理」の『枠外』で扱うことが多くなります。実際、日本企業に在籍している外国人留学生の最高職位を調べてみると、「部長クラス」は2%以下にすぎません。「課長クラス」という回答は10%未満で、「主任・係長クラス」というところまでハードルを低くしたところで9%前後にすぎません。悲しむべき事実は「役職なし」という答えが約半数もあることです。約4分の1を占める「無回答」を加えると、なんと4社のうち3社の日本企業において、留学生は、「昇格」させる対象とは認識されていないことがわかります。この「年次による人事管理システム」を導入している大企業において、「年次」を無視した「昇格」や「昇給」を求めたところで、周りから浮いてしまうだけでしょう。「年齢や入社年次で差別しない人事を求める!」というフェアな叫びも、閉鎖的な日本の大企業の中では、「外国人にありがちな自分勝手な要求」として片付けられてしまうだけです。つまり、外国人留学生は、日本の大企業における「年次による人事管理システム」の被害者なのです。
l 人事における「実力主義」を対外的にうたう日本の大企業は数多くありますが、米国的な意味での「実力主義」(3ヶ月毎に人事査定されて1年で先輩を抜ける)で人事考課が為されることはありません。というのは、「年次による人事管理」を導入しているために、「年次」を無視した人事が行われることがないからです。だから、日本人であっても、転職組だと出世することが難しくなっています。経験豊富な日本人でも、転職組だと出世できないのですから、これまでの実績やビジネスの力量が乏しい外国人留学生の「昇格」が難しいのは、ある意味で当り前です。
l このため、知名度のある日本企業に入社したのは良いけれど、大企業における「昇格」が難しいという現実に直面した外国人留学生たちは、狭き門をくぐって日本の大企業に就職したにもかかわらず、たった3年間すら在籍することなく、退職していきます。このため、外国人留学生の離職率は、中小企業よりも、大企業の方が高くなっている場合が少なくありません。
l しかし、この「年次による人事管理」の被害者は、外国人留学生たちにとどまりません。じつは、日本企業に就職したほとんどの日本人の若者も、被害者になっています。というのは、バブル経済崩壊の後、リーマンショックを体験した日本企業では、年齢構成で見た場合の「ピラミッド型の組織」を維持することが困難になりました。そもそも「年功序列型賃金」を維持した「ピラミッド型の組織」は、会社が伸び盛りで、次々と新しい役職を増やしているときや、肩叩きにも使える子会社がどんどん設立されている成長期には有効に機能します。しかし、低成長になり、新人採用を抑制したりすると、「年功序列」を守るために折角維持してきた「ピラミッド型」が崩れてしまいます。そして、部下よりも上司の数が多くなれば、昇進機会は少なくなり、昇進速度も大幅に遅滞していきます。
l 「昇進チャンスがない生殺しのような状況」の下で、日本人労働者の若年層に対して、「向上心があって、勤勉で、ハードワークを厭わない」という美質を期待し続けることは苛酷に過ぎます。というのは、「頑張っても報われない」期間がどんどん長期化するからです。新卒採用から10~15年という期間、「頑張っても頑張らなくてもあまり変わらない」という現実を嫌というほど見せつけられたとすれば、彼らが「上昇志向はなく、プライベートに熱心で、ハードワークを厭う」という体質に変貌したとしても批判することはできません。つまり、「労働力劣化」の問題は、労働者個々人の問題ではなく、人事体系を変革できなかった経営者たちの問題だったのです。
l また、組織の「ピラミッド型」を維持しようとして、多くの日本企業は、「早期退職制度」や「早期出向」を乱発しましたが、社外に出された社員たちは、その後、「どんなに頑張っても、生え抜き社員には勝てない」という外様社員に冷たい日本企業の現状にぶち当たります。そもそもが一生尽くそうと一時期は思っていた会社から引導を渡されて、「頑張れば報われる」という信仰が揺らいでしまった人々です。外様社員として報われない回数が増えれば、自ずと退職も増え、勤務期間も短くなり、いつの間にか、「筋を通す・周りに負担をかけない・会社に迷惑をかけない」という「一宿一飯の恩義」という美学も知らぬ間になくしてしまいます。このことについても、彼らを責めることはできません。この「労働力劣化」についても、労働者個々人の問題ではなく、中途採用の人材に対して適切な人事体系を提供できなかった経営者たちの問題であると言わざるを得ません。その意味で、この「労働力劣化」は、日本人経営者たちが引き起こした問題だと言えます。
l つまり、いま表面化しつつある「労働者劣化」の背景には、「年次競争システム」が持つ負の側面があるのです。少子高齢化や低成長の中で、年功序列やピラミッド型組織を維持できなくなることが自明であったにもかかわらず、「年次競争システム」を維持し続けたために、バブル崩壊やリーマンショックで新卒採用を絞った結果、若者に関して「頑張れば報われる」というメカニズムが機能しなくなりました。一方、ピラミッド型の組織を維持するために放出された中高年の転職組は、外様の限界に直面して「一宿一飯の恩義」すら忘れていきました。その結果、日本人労働者は、「上昇志向はなく、プライベートに熱心で、ハードワークを厭う」という性質に変容し、「電通ショック」を契機にそれらが表面化するようになってきました。これらはすべて、経営者たちが引き起こした問題なのです。
l ホリエモンの絶頂期には、「東大進学よりも起業を」という起業ブームが起きました。そのまま日本が「起業大国」になっていたならば、「年次競争システム」など関係のないベンチャー企業が主流になって、「労働者劣化」の問題は軽傷ですんだかもしれません。またトップ層が起業し、二番手はインベストメントバンカーやスペシャリストになり、三番手が大企業に入社し、それ以下が役所に就職するという、ハーバード大学で見られるダイナミズムが東大や京大でも生まれていたかもしれません。しかし、日本のエスタブリッシュメント層は、その流れを嫌って、ホリエモンを潰しました。それを間近で見た東大生や京大生は、起業ではなく、役所や大企業を選択し、「成長」よりも「安定」を、「明日のためのチャレンジ」よりも「現状維持」を、志向しました。保守的になった若者たちは、慎重にリスクを避けたつもりでしたが、結果的には、役所や企業の中で「年次競争システム」の罠にかかってしまい、会社組織の中で「昇進とハードワークを避け、プライベートを重視する道」を選びました。その意味で、今後表面化してくる「労働力劣化」は、長い歴史を経て形成された問題であり、根深い構造を持っています。
l 今後数十年に亘って生き残ることを誓う経営者は、従来、日本人労働者に対して持ってきた「向上心があって、勤勉で、ハードワークを厭わない」という信仰を捨て去る覚悟が必要です。「上昇志向はなく、プライベートに熱心で、ハードワークを厭う」という仮定に置き換えても通用するマネジメントに変革しなければなりません。そのためには、「年功序列」「年次競争」「終身雇用」という従来の常識を覆す必要があります。それは、組織が大きければ大きいほど、苦痛を伴う大手術であることは論を待ちません。
【Timely Report】Vol.320(2019.1.4)より転載。詳しくは、このURLへ。http://nfea.jp/report
BLOG記事「将来への不安を解消せよ!」も参考になります。
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