l  政策を処方する政策当局者と政策を客観的に評価すべきマスコミが結託して、宗教化した経済政策を推し進めようとするとき、それに異論を唱えても、効果はありません。逆に「ブラック企業」として袋叩きになるだけです。政策当局者が処方する誤った経済政策に対して、自らの企業と社員を生き残らせていくためには、自衛手段を講じるしかないと腹を括るべきでしょう。

l  実際に、経営の現場を窺うと、少なからぬ経営者は、政策当局者が思い描いている「人手不足賃金上昇価格上昇売上増大」という針路ではなく、「人手不足拡大抑制賃金抑制縮小均衡」という「まずはとにかく生き残る」ことを優先した経営戦略に切り換え始めています。つまり、成長を追い求める「売上増大」ではなく、生き残るための「粗利増大」を選択しているのです。そして、経営者が「売上増大」ではなく、「粗利増大」を優先すれば、コストのうちの大きな部分を占める賃金に対して、抑制的に臨むというのは至極当たり前の経営戦略になります。

l  日本銀行は、物価上昇率が目標の2%に達しないのは「人手不足の度合いが不十分だからだ」と公言し、このまま人手不足が続けば、賃金も価格も上がると予測しており、多くの経済学者たちも「人手不足なのに賃金が上がらないのは謎だ」とほざいて、「賃金が上がらないのは、人手不足が足りないから」という完全な誤診をしています。現状は、需要増に牽引される「好景気」ではなく、単なる「人手不足」。需要が弱いから値上げしたらお客さまは離れるだけです。それを熟知しているから、経営者たちは「人手不足賃金上昇価格上昇」という針路が誤っていることに気付いています。だから、時短や休業という「労働投入量の減少」を選び、「人手不足拡大抑制賃金抑制縮小均衡」という針路をとっているわけであり、「経営者目線」で見れば、賃金がなかなか上がらないのは極めて当たり前のことなのです。

l  人材を採用する「経営者目線」で見ても、目先の高い賃金に釣られて集まってくる人材は、目先の賃金の良さで辞めていく人材と同値であり、「安定的で健全な人手の確保」には貢献しません。提供する商品やサービスの価格を引き上げたときに、消費者が呼応してくれるかどうかわからない状況で、長期的に定着して貢献してくれるか否かわからない人材に対し、いたずらに賃金を引き上げれば、自ら首を絞めるばかりです。昨年4月、「脱デフレは大いなるイリュージョン」と喝破した岡田イオン社長の卓見に学ぶべきです。

l  労働市場の現状を確認しましょう。201711月の就業者数は6552万人(前年比+1.2%)に達し、既往最高の6679万人(19976月)まで、あと+1.9%のところまできました。これまでもそうですが、今後においても、「生産年齢人口」は着実に減少していきます。そういう中で、既往最高値を超えて、日本人の就業者がどんどん増えていくということを想定することはできません。実際、201711月における就業者数は、生産年齢人口(7611万人)の86.1%に達しています。19976月時点の同計数は76.8%(生産年齢人口は8699万人で既往最高)に過ぎませんから、生産年齢人口に対する就業者数の比率が10%ポイント近く上回る現時点の労働逼迫が尋常でないことは明らかです。日本人に関する限り、これ以上の労働者数を増加させることはかなり困難(=完全雇用がほぼ達成されている)とみるべきです。

l  賃金水準を引き上げることによって、これまで労働市場に参加していなかった労働者が、労働市場に参加して就労者になることにより、就労者数自体が増大するのであれば、経済全体として意義があります。しかし、完全雇用がほぼ達成されている中で就労者数が増えないことが見込まれるとすれば、ある企業における採用の成功は、他の企業における離職を意味しますから、ある企業で人手不足問題を解決したように見えても、新たな人手不足を招来するだけになってしまいます。これでは、経済全体としては意味を為しません。これは、経済学の初歩である「合成の誤謬」と言われる現象です。

l  このような経済環境の下で、数多くの企業が賃金引き上げ競争に加われば、耐えられなくなる企業が出るまで賃金水準を引き上げ続けるchicken race(チキンレース=相手の車や障害物に向かい合って、衝突寸前まで車を走らせ、先によけたほうを臆病者とするレース)が生じるだけ。冷静に見れば、このchicken raceは、経営者にとって得るものはほとんどありません。生死がかかっている経営者たちは、政策当局者の机上の空論に踊らされるほどナイーブではありませんから、「人手不足賃金上昇価格上昇売上増大」というストーリーに素直には従いません。したがって、目先の賃金引き上げではなく、目先の労働投入量の抑制に心を砕くようになっていくでしょう。

l  もちろん、そのような状況下であっても、今後の半世紀において、日本経済が拡大し続けるという希望やビジョンがあるのであれば、長期的な経営計画の下で「人手不足賃金上昇価格上昇売上増大」という針路を選択する経営者も少なからず出てくるでしょうが、今後の半世紀における日本経済に関しては、誰がどう見ても、人口減少を主因とする経済不振が控えています。

l  2017年において、国内で生まれた日本人941000人。戦後最低であった2016年の977000人をさらに下回りました。その一方で、死亡数は戦後最多の1344000人に上り、出生数が死亡数を下回る「自然減」は初めて40万人を超える見込みです。2015年時点において12700万人を数えた日本の総人口は、40年後には9000万人を下回り、100年も経たぬうちに5000万人ほどに減ってしまいます。こんなに急激に人口が減少するのは世界史において類例がありません。それと同時に、「働き盛り人口(20歳~39歳)」が、今後、毎年100万人のスピードで減っていくわけですが、これは、毎年、ひとつの県が消失するのと同等のインパクトを持っています。

l  この「人手不足(就業者不足)」と「人口減(消費者不足・労働者不足)」という二重苦に加えて、中小企業においては、「後継者難(経営者不足)」という難問が発生しています。じつは、後継者難から会社をたたむケースが増えており、廃業する会社のおよそ5割が経常黒字という異常事態。2025年までには6割に相当する245万人の経営者が、平均引退年齢の70歳を超えると見られているのですが、現状、少なくとも127万社において後継者不在の状態にあります。現在の日本の企業数は、382万社(個人事業主を含む)と見られていますから、その3分の133.2%)以上が廃業予備軍ということになります。つまり、これから毎年5%近くの企業が廃業していくということが見込まれているわけです。こういう状況下で、楽観的に「人手不足賃金上昇価格上昇売上増大」というシナリオを描く経営者は少数派です。

l  ところが、「人手不足」「人口減」「後継者難」という三重苦の中、「毎年、ひとつの県が消失するのと同等のインパクト」が襲い掛かることが明らかであるにもかかわらず、それらの困難を打開するための政策は何も打ち出されていません。「労働削減=善」という宗教が布教されるだけです。そういう状況下で、賃金上昇という選択肢を選び、「人手不足賃金上昇価格上昇売上増大」というシナリオを描く経営者は、極めて愚かであるか、chicken raceに参加することによる自殺願望があるとしか思われないでしょう。

l  だから、経営者は守りに徹することになります。経営者が守りに徹すれば、賃金はなかなか上がりませんから、就労者(=消費者)も守りに徹せざるを得ません。そして、消費者(=就労者)が守りに徹すれば、「価格上昇売上増大」という戦略は失敗に終わる可能性が高くなります。だから、人手不足に苦しんでいるほとんどの経営者は、調節弁であるアルバイトの賃金を引き上げたとしても、正社員の賃金上昇に対しては慎重に対処しているのです。
金融危機, 証券取引所, トレンド, シンボル, 矢印, 方向, ダウン, 低迷
【Timely Report】Vol.75(2018.1.9)より転載。詳しくは、このURLへ。http://nfea.jp/report

BLOG記事
将来への不安を解消せよ!」も参考になります。

外国人と入管の関係に興味のある方は ➡ 全国外国人雇用協会 へ
移民に関する国際情勢を知りたい方は ➡ 移民総研 へ